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ベトナムオフショア開発会社「TOMOSIA」代表取締役 AnhLuuTuanにインタビュー

ベトナムオフショア開発会社「TOMOSIA」代表取締役 AnhLuuTuanにインタビューを行った内容を執筆します。苦学生だった彼が、ベトナムプログラミングコンテスト優勝、日本大会準優勝、アジア大会進出を果たし、TOMOSIAを設立するに至った背景をご紹介します。

苦学生から脱却

水野:さっそくですが、アンさんはなぜ東京への留学ではなく、新潟の大学へ留学されたのですか?

Anh:はい、私は東工大を志望していたのですが受験に落ちてしまい、地方の大学に入学することになりました。

水野:そうだったんですね。苦学生だったとお聞きしましたが。

Anh:はい、家庭が大変貧しい環境でしたので、日本への私費留学は私にとって大変辛いものでした。そのため、学費・生活費を全てアルバイトで稼ぎました。 1日平均6時間ほどアルバイトをしていました。それにより学業に集中できず、奨学金を貰うという悪循環に陥っていました。

水野:それは辛かったですね。どのようにしてその悪循環から脱却されたのでしょう?

Anh:大学3年生になった頃、「俺の人生はここまでか。いや、歴史に名前を残す生き方をしたい」ふと初心にかえることができ、私の武器であるプログラミングで勝負をしようと思うようになったんです。ベトナムにいた頃は、ベトナムプログラミングコンテスト準優勝、翌年には優勝を経験したことがあります。それで、日本でのプログラミングコンテストを探し、ACM-ICPC(世界大学対抗プログラミングコンテスト)を見つけました。でもね、教授と相談をしたんだけど、うちの学校ではコンテストに参加したことがなくて、必要人数の3名を集めることが難しいと言われてしまいました。

水野:あまりプログラミングの授業がない大学だったのですね。。

Anh:はい、なので自分で作ったポスターを食堂に貼ったり、上級生が専攻するプログラミングの授業の教授に相談したりして、参加者を見つけることができました。そして、コンテストの結果は、、、なんと、ICPCのアジア大会まで突破することができました!!こうした私の行動に、大学で初めての事例ということもあり、学長表彰まで頂くことができました!!こうして晴れて特待生となり、晴れてアルバイト漬けの生活から脱却することが叶いました。

Yahooインターンシップ

水野:アンさんは自然言語処理が大学での専攻分野だったと伺ったことがありますが、詳しくお聞かせ頂けますか?

Anh:はい、日本語が下手なのに、自然言語処理が得意分野でした。Yahooインターンシップにも応募しようと思い、応募条件を調べたのですが、院生2年生と博士3年生のみが参加できるものでしたが、試しに応募してみた結果、面談をしてくれることになりました。

水野:Yahooは日本でもトップクラスの技術会社ですね。結果はどうなりましたか?

Anh:面談までの間に、YahooのBing検索エンジンの調査を行い、ベトナム語の符号があることが原因で、ベトナム語の検索精度が良くないことをプレゼンテーションにまとめて、面談に挑みました。予定されていた面談の最後に、プレゼンテーションをさせて欲しいと提案し、資料を読み上げました。そうした姿勢や、内容を評価して頂き、Yahooインターンシップに参加させて頂くことができたのです。

水野:応募条件から外れているにも関わらず参加の切符まで手に入れたのですね。インターンシップはどうでしたか?

Anh:Yahoo! Japanでのインターンシップは2週間だけでしたが、世界レベルエンジニアとご一緒できたことに感動しました。知識量、開発スピードなど、すべて世界トップのエンジニアです。彼らと比べると私はまだまだ未熟だと感じました。

水野からコメント

水野:アンさん、本日は貴重なお話ありがとうございました。
私はアンさんと知り合って、HinodeLaboの会社の方向性、そして自分自身のキャリアをピポットすることができました。
ベトナムには私よりも優秀なエンジニアがごまんといて、費用も安い。そして日本語もできて英語もできて、そんな人材が豊富にいることに、大変恐怖を覚えたことを鮮明に記憶しています。
このままでは、自分は国際競争の中でエンジニアとして生きていけないと。
今、良い単価でお仕事させてもらっているのは、日本人で日本人のお客様と対峙しているからであって、ちょっとしたツテがあるからだけなんだと。
そこから私は猛烈な勢いで、システム開発の上流工程の設計、さらには企業様のビジネスモデル設計や企画から参加することを最も重要視するようになり、それまでプログラミングの学習ばかりしていた時間の投資を、さまざまな業界のさまざまな分野の学習をするように変わりました。
まだまだ評価されるような実績はないですが、少しずつその芽が確実に育ってきています。
かっこいい言い方をすれば、IBMがハードウェアメーカーからコンサル、ソフトウェアに事業転換したように、HinodeLaboは今は日本でのプロジェクトマネジメント、事業設計を重要視するように方向転換しました。

Anh:私も水野さんがTOMOSIAのボードメンバーに加わってくれたことを大変感謝しています。

水野:これからもお互いの事業を拡大させていきましょう。本日はお時間ありがとうございました。